雑紙

感想とか覚え書き

説明可能な状態に言語化する姿勢を持ちたい

ほとんどタイトルで完結している。

 

説明可能な状態に言語化する姿勢を持っていたいと思っていて、自分はこのことが著しく苦手なんじゃないかなと思っている。こう思ったのは昨日ビルコンの感想エントリを書いたときで、自分が言いたいこと思っていることが全然上手く書き出せないことに「どーすれば、、」と書いたり消したり手を止めたりしながら書いていた。

そこで思ったのはこういう体験はブログを書く以外にも普段から経験していて、仕事のやりとりや人との雑談コミュニケーションの場でも言葉が出てこなかったり曖昧な言葉で伝えたり身振り手振りの動作で無理矢理伝えたりしてる。

こうなってしまうのは、説明すること、特に物事を言語化することが自分は下手だったり苦手だったりするからなんじゃないかと思っていて、特別対策を打ったり改善に向けた行動を取るわけではなかったけれどぼんやり思っていた。

ぼんやり思っていたのというのは文字通りで、そもそもタイトルに書いた「説明可能な状態」や「言語化」という概念自体を言語化できていなくて、「どうにもできないなー」「何故か上手く言えないなー」といったことが続いていた気がする。

もちろんそれぞれの言葉は知ってたしなんなら日常や業務で使ってはいたけれど、自分のこの状態について使うことはなかったと思う。

では何故このエントリを書こうとなったかというと、最近1on1などでこの事を指摘されたり、コミュニケーションや説明につまる機会あったり、そこに今回のエントリを書くのに時間がかかった経験も合わさり、突然自分は「言語化」が出来ていないんだということを理解したから。これは完全にアハ体験というやつで、頭がすっきりして自分の中で納得が出来ている状態。

となると理解したこの後はどうするんだという話しに当然なる。この後の行動はかなり明確だなと思っていて

  • 曖昧なままに理解しない
  • 自分の言葉に落とし込む
  • 他人に説明出来る状態にする

を実践していくだけだなと考えてる。全部同じことに言い換えだとは思っていて、「理解する」の一言に尽きると思う。曖昧なままに理解しないのはそうで、説明の時に詰まってしまうのは結局の所理解不足の部分が多くを占めていて、この部分をクリアできていれば自分の言葉するのも説明するのもちょっと頭を捻れば出来るだろうと考えている。逆にクリアしなければ一切進まない。自分の言葉に落とし込むのも他人に説明出来る状態にするのも同じで、他人の言葉や教科書の言葉をそのまま使ってるだけでは理解しているかどうか怪しくて、一度理解した事柄を抽象的に概念的に捉えて自分の具体的な言葉に戻すという作業をすると、深く自身を持って理解できるのではないかと思う。そしてここまで出来ていれば他人に説明出来る状態にするというのは息をするように出来るはず。ただし書いてはみたけど、抽象から具象のような作業を全てにやってたら大変なので、きっと程度問題なんだろうなとも思う。

ここまで理解することが大切なんだ!みたいな当たり前のことしか書かなかったけど、それはそうという感じでもっと大切なことは「理解を諦めない姿勢」なんじゃないかなと思う。結局曖昧なままにしてしまうのも「このくらいでいいか」とか「これ以上は今知ってなくてもいいでしょ」みたいな妥協や甘えの気持ちが身についてしまっているのかなと思ってちょっとしょんぼりしている。効率よくキャッチアップするには悪く無い姿勢だとは思うけど、これを適応する場面は選ぶべきだなと反省していて、何にでも言い訳として使ってしまっている。「俺は広く浅くだから」とか言ってるんじゃなくて、本当に必要な場面で必要な深度の理解が出来ていないのはずかしいなと思う。

 

これ以上書いても自分を貶めるだけなので、この先に向けて改善する方向でやっていきたい。ここまでこれから自分が持ちたい姿勢の話しかしていないので、具体的なアクションはこれからという感じだけれどやっていきたい。